今日はまちクリエイターについて書く。
今まで宣伝のために大本営発表の記事ばかり書いていたが今回はまちクリエーター事業のシステム上の構造的欠陥を書いていく。
まずは舞台となる宮城県栗原市についてだが2005年に栗原郡の10町村が合併して栗原市になった。市の最大の悩みは大学がないことによる若者の流出。
そこで若い人(40ぐらいまで)に栗原市の魅力を発掘、発信してもらおうと始めたのが宮城県栗原市まちクリエイター制度、栗原市がまちクリエイター制度を始める一年前はデイサービスセンターを改装した場所(通称ピンク基地)をシェアハウスにして移住者にお試し移住してもらう「ゆるい移住プロジェクト」を始めていて、同じピンク基地を使って今度はまちクリエイター制度というワンランク上の事を始めていた。当時、Facebookでこのことを知った私は「栗原市って盛り上がっている。」と感じて応募することにした。
「ゆるい移住」が「まちクリエイター」になって最も変わったことと言えば栗原市とタッグを組んでいる吉本興業がピンク基地に管理人としてよしもと住みます芸人を常駐させたことだ。
実際に住んで分かった事だが現在の制度では栗原市の地元の人も栗原市もまちクリエイターとしてやってきたクリエイターもよしもと住みます芸人も誰もうれしくない。これから「なぜうまくいかないのか?」の構造的な問題を列挙していく。
まず第一にまちクリエーター事業は研究である事を分かっていない
研究と開発の違いを書いておくと、
開発は具体的な目標が明確に分かっているが、
研究は漠然とした目標しか分からない。
まちクリエーター事業は事業自体の目標が漠然としていて開発か研究かで言えば間違いなく研究になる。これに対して市のPR活動や移住者支援は「市の人口を増やす」とか「知名度を上げる」とか目標が明確なので開発になる。
研究というのはおいそれとうまくいくものではない。だってゴールが明確でない未開拓地を切り開かないといけないのだ、山のように失敗してうんと時間をかけて初めて結果が出ると考えるべきだし、その結果が好ましいものである保証はどこにもない。
まちクリエイターの活動期間は半年なのでその期間で結果が出たら奇跡だ。また山のように失敗する覚悟も必要だ。
まちクリエーター事業もお役所仕事なのでクリエーターが何かやる時には企画書を書くことになっている。私も企画書を書いた。内容は「地元の人にピンク基地の場所を覚えてもらうために、ピンク基地でお茶会したい。」といったもの。地味だけど平和だ。意外に思われるかもしれないがこの企画書は通らなかった。しかも却下の返事もなぜ却下になったかの理由もなしで、栗原市の役場の人はまちクリエイターをあまり信頼していないのではないかと気になる。
前例のない企画を企画書の段階で潰していたら結果はない。二か月間栗原で暮らしていた間に起こったことをまとめると
10月6日お寺で晋山式 まちクリエイターも焼き鳥を焼いた。
20、21日平野神社でお祭り おみこしを担いだ。
小野寺防衛大臣も来てくれた。
26日いちはさま軒下マルシェ まちクリエイターの柏ハングさんも演奏した。
11月4日
くりでんミュージアム(くりはら田園鉄道の跡地の博物館)でお祭り。まちクリエイターとは関係ないが私も参加
24、25
まちクリエイター主催アートイベント「誰でもアーティスト」
25夜 柏ハングさんのハンドパン演奏会
こうしてみるとどうしてもイベント中心になってしまう。栗原市はアクセスが悪く住み込みで行動できないのでそれは仕方がない。イベント、イベントと言っても地元のイベントは結構いっぱいある。特に私が住んでいた10月11月は稲刈りが終わって農閑期になる時期でイベントが多いらしい。当たり障りのないイベントだけやっていたのでは限界がある。
肝心なのは地元のイベントとバッティングしていることが多い事実に気づいていない点である。地元の人にとってはクオリティが同じぐらいだったら、近所づきあいもあることだし絶対にまちクリエイターのイベントよりも地元の人が開く方のイベントを優先する。まちクリエイターの認知度が低かったので11月24、25の「誰でもアーティスト」「ハンドパン演奏会」のポスターを地元のお店を一軒一軒回って配り歩いたが、それでもイベント当日は結構暇だった。
真ん中に張ってあるポスターを配り歩いた。
「ありきたりなイベントばかりでマンネリ化している。困った。」といった意見が誰からもライングループに挙げられていないのが問題だ。まず、まちクリエーター事業は開発ではなくて研究だという意識を関わる人すべてが持ってほしい。
第二に誰がリーダーかはっきりしていない。
これはまちクリエーター事業の公式ホームページから引用した画像なのだが一番偉い人が誰だか分からない。実際に何か決める時もみんなの意見でなんとなく決めていくことが多かった。少なくとも鶴の一声で意思決定が起きたことを見たことがない。
普段はまちクリエイターのLINEグループで何をやるかチャットすることが多いが、こういう時に一番実質的な発言力がある人は、まずチャットの量が多くメンバーの中央値的な意見を書く人だ。つまり当たり前の意見をいろんな言葉で書きまくる人間がLINEグループをコントロールするわけであり「みんなで議論すればいい意見が出る」なんて嘘っぱちであることがこれで分かるだろう。
クリエーターはもっと個人的に動かないといけない。
今回のまちクリエイターで集まった人々には大きく二つのグループに分けられる。
一つは普段の仕事はクリエイターの活動とは別にもっている片手間クリエイター
もう一つはクリエイターの活動そのものが本業のフリーランス型クリエイター
片手間型クリエイターにはこのブログにコメントを書いている神谷さんがいたり、イラストレーターの人がいる。彼らは本業は本業で別に持っているのでそんなに切羽詰まった状態ではない。役場の人がOKのハンコを押しやすそうな当たり障りのない「ピンク基地でお絵かきします。」みたいな企画を出してくれるのでまちクリエイターの中心にいる。
お絵かきイベントで撮った写真、DJも来ていた。
問題はフリーランス型クリエイターのほうだ。こっちの方には建築を学んでいる大学院生三人組がいたり、東京工科大学の学生がいたり、映像クリエイターがいたりする。彼らはまちクリエイターで何か宮城県外の人にも伝わる成果を上げないといけないので本来はあまり余裕がないはずだ。とんがった企画を作らないといけない身分なのだ。それでも片手間型クリエイターになびいてしまったのか、とんがった企画を作れないのか、初めから作ろうとしないのか片手間型クリエイターよりも当たり障りのない企画ばかりで見ていてうんざりする。
具体例を挙げていこう。
まちクリエイター新聞作る#新聞 #栗原市 #まちクリエイター #デザイン
建築を学んでいる大学院生三人組の作った壁新聞なのだがデザインはいいが文章が当たり障りのない表現ばかりで読んでいてちっともおもしろくない。キャッチフレーズは確か「栗原における紙面上の公共空間」だった。
これは東京工科大学の学生が作った屋台だ。折りたたみができないし運び出すのに4人は必要でめちゃくちゃ不便。それでもイベントの時にはしょうがないから出して使っている。他のまちクリエイターのメンバーから使ってみた感想を聞いてみたりするとかそういったことも一切ない。
まあ私も栗原市に住んでいた時はセミプロ型クリエイターの一人だったが「才能ない人間だ。」「自分を上手に表現するにはどうすれば良いか?」は常に考えている。考えて考えて政治家が今の自分に一番向いていると結論付けたし、文章の書き方は批判を恐れず出し切ろうという考え方に至った。まちクリエイターに参加しているフリーランス型クリエイターは成功体験どころか失敗経験もロクにないのではないか?
はっきり言って今の企画のままだとイベントで一時的には盛り上がるが、栗原市の外に行くと就活ネタの足しにもならない。就活ネタやキャリアになりそうなネタを作るには企画書の段階で相当ヤバイ内容になるに違いない。そういう企画書はほとんど通らないから必然的におもしろい企画を出せる人から順番にまちクリエイターから離れていく。
その証拠に初めのキックオフ合宿の記事を読み返すと有能そうな人が集まっていたが、どこへでも行く行動力のある人から離れていく現象が起きている。
PRと移住はうまくいっているのか?
ここまでまちクリエイターの構造的欠陥について書いてきたが栗原市のPR自体は結果的には結構うまくいっている。地元出身のパンダライオンが出したDA PUMPのパロディはすごい勢いだ。吉本を使うよりもこういった地元の人材を使ったほうがいいのではないだろうか?私がもし栗原市民だったら今のまちクリエイターを見ると「いろいろやって吉本呼んだりしているけど、正直言ってメンバーそれぞれの悪いところが出ているな。」って考える。次の選挙で移住者戦略の見直しを訴える候補が出てきたらその人に票を入れる。
肝心の移住者支援の方だが実は結構うまくいっていて、「田舎暮らしの本」という雑誌の2019年2月号で行われた住みたい田舎ランキングで東北部門の一位を獲得した。栗原市は今のままでも移住者には困らないのではないだろうか?学校がないことによる若者流出問題は一般人には手の付けようがない問題なので行政に頑張っていただくしかない。文化で人を呼べるようにまちクリエイター制度を作ったと思われるが、本当に人を呼べる文化を作るとなると、相当賛否両論出てくる企画を出す必要があるし一朝一夕にはいかないし今からやると大冒険になる。今まで通りの移住者戦略で手堅く人口を増やすか、冒険するかどちらかにしていただきたい。