かずひろの野望 

高橋かずひろの公式ブログです。

暦2.0

突然ですが暦革命やります。

 

人間の年を20歳超えたらあとはうやむやにします。

 

人間は農業をはじめ暦を作るようになってから

自然を計る作業を始めて、「年」という考え方を手に入れた。

その日からすべての人間は年齢という役割を与えられた。

若者は若者らしく、老人は老人らしく

科学が未発達で若者が多くて老人の少ない社会ならそれでもうまくいっていたと思う。

王や貴族や奴隷といった役割は時代とともに少しづつ変化していったが

人間を区別する基準としての年齢は昔よりも厳しくなっていった。

時計が金持ちのぜいたく品から庶民のものになって

腕時計ができて、インターネットができて今ではあったこともない人間の年を一瞬で調べられるようになった。

豊かになったはずのこの社会の閉塞感は「老人が多すぎるからだ」とよく言われる。正確に言うと老人の比率が多すぎる。

これはごもっともである。なぜかというと近代国家のシステムは「年」を基準に作ってある。

おぎゃあと生まれた時に役所に届けられて、

6つになったら義務教育、高校も大学もあるけど入学することで人生のメリットになる年は社会の暗黙のルールで決まっている。

18で選挙権がもらえて20を超えたらどこかで働き始めて年金を払う。

働いたら働いたで仕事の役割を決定するのに年は大きな影響力を持つ。

よく、「男社会はけしからん」って叫ぶ人がいるけど「年齢社会」の方がでかいんじゃないか。

レールから外れた人間は問答無用でかわいそうな人扱いされる。

年寄になれば年金が支給される。

必要な量をはるかに超えた医療、介護という名の苦しみを受けて墓場に行く。

少なくとも平成の日本人は年と過去の奴隷じゃないか!

それに将来、日本みたいになるといわれている途上国もそれこそ多い。

 

 

これを解決するには若者を若者たらしめ、老人を老人たらしめるものをぼかさなくてはならない。それは年齢である。時である。

 

人間を年齢で縛っていいのは20までで充分じゃないだろうか。

 

時という概念で人間を縛るからこそ、若者は若者を演じることになり、老人は老人を演じていく。どんどんステレオタイプ化していき流動性を失う。時という概念が消えれば若者が老人の役割を演じることが出来て、老人だって若者の仕事ができる。現実を見れば精神を病んでボロボロになった若者もいれば、「最近の若いもんはなっとらん」と元気いっぱいの年寄りもいる。年齢の壁を撤廃すれば救われる人間はそれこそ世代を超えているはずだ。

 

 そこで私は20年を超えるとうやむやになる改暦運動を始めることにした。

一般の人は勝手に設定した暦を使って、現在使われているグレゴリオ暦は農家さんとか天文台とか太陽が決めた一年を正確に測る必要がある人が使えばいい。

 

人類が暦で縛られる時代はもう終わりにしよう