かずひろの野望 

高橋かずひろの公式ブログです。

若者が政治に関心のない本当の理由

 若者の政治離れというが本当にそうだろうか?

 

 この記事を書いている2019年4月には18歳選挙権になってから初めての統一地方選がある。

 

 この時期になると若者の政治離れの理由について評論家がああだのこうだのと意見を述べ始める。テレビで評論家を見る時もあるがどれも本質的な部分でずれている。

 

 まず、だいたいの意見が「最近の若者は○○で、、、、、」といった形で始める。つまり「若者」の方に原因を探ろうとするのである。「世の中が変化した。」とか「政治家の方が若者の事を考えていない」とかそういったことはほとんど考えていない。

 

 評論家の中で比較的まともな若新雄純でさえ、

「若者の問題意識や関心が公から私に変わってきたというのは、単に視野が狭くなったということではないと思う。社会の公的な制度やインフラが整備されたことで、自分自身のことと深く向き合う余裕ができるようになり、私的な問題こそが人生において深刻で重要なものになった。でもその内容は個人によってバラバラで、政策として打ち出すのが難しい。その壁を乗り越えてくるような政治家や政党の出現に期待したい」

なんて言ってる始末。

 

キャリコネニュースから引用しました。

news.careerconnection.jp

 

まず社会のインフラや公的な制度は、警察、病院、消防といった人間の暮らしをするために最低限のものは充実しているが、それ以上のものとなると「ふざけるな!」と思うことは山のようにある。

まず、大田区の自宅から通える範囲で通うメリットのある高校や大学がない。

雇用が売り手市場だといっても団塊の世代が抜けた穴があるだけ

生活保護を受けに行っても水際作戦でブロックされる

 

 

 それと今の失敗できない社会でレールから外れないように生きている大多数の若者にとって、自分自身の事に深く向き合う余裕など存在しない。せいぜい就活の時に自己分析をやった気分になるのが関の山である。

 

 若者にとって私的欲求もあることはあるが、ただ今も昔も私的欲求は公的欲求に形を変えて噴出するものだ。

 

 うちの村のアクセスが悪い→高速道路を作れ

 子供に立派に育ってほしい→学校を作れ

 和服が売れない→成人式をやろう

 

 それどころか私的欲求をストレートに議員さんに伝えても世話を焼いてくれる時もある。具体的にはお年寄りが「家の外が段差で外に出る時に転びそうだ。」とかそういったことを区議会議員に言って道路をスロープにしてくれたりするときもある。

  

 そして若者にとって「私」の領域というものはどんどん狭くなっている。LINEで四六時中監視されているのと同じだし、Twitterもインスタグラムもちょっと変なこと書けばすぐ炎上だ。スマホは「私」の時間を「公」の時間にする凶器だ。

 

 

 

若者の意見を代弁してくれる政治家がいないこと

 奨学金政令

 NHKの受信料を下げる

 年金の負担が高すぎる

 介護と保育の現場がブラックだ

 引きこもった人の投票権

 結婚しないのが今当たり前で結婚しているやつらは金持ちだから結婚税を取ろう子育て政策はマジでいらない

 

 もしこんな事を主張する政治家が現れようもんなら、たちまちネットにマスコミにぼろくそ叩かれるだろう。小池百合子に至っては公約としてでなく「ベーシックインカム」という言葉を発しただけで無責任なイメージになった。

 

 

 政治家というものは年寄りばっかり大事にしているイメージがあるけど正確には「動けない人」を優先的に大事にしている。戸別訪問についていったこともあったけど訪問するのは、ほとんど一軒家。マンションには戸別訪問に行かない。マンションだと家賃を払って住んでいる人もいるから

 

その証拠に今度選挙が起きたら選挙広報を見ればいい。まともな政治家にはだいたい「介護と子育て支援」が絶対入っているから。この「介護と子育て」これを言っておけば確実にある程度の票を稼げる実質的な「定石」と化している。老人と小さい子供のいるお母さんに共通するのは「動きづらい」ということだ。動ける人は説得してもその選挙区の人かどうか怪しいが、動けない人は説得すれば確実に一票になる。

 

目の前の選挙の事だけ考えるとどうしても「動けない人」中心の政治になってしまう。

 

結論 「若者の政治離れ」ではなく「政治の動ける人離れ」が実情である。