かずひろの野望 

高橋かずひろの公式ブログです。

HEISEI NO OWARI project  平成二年

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はい始まりました。

 

 HEISEI NO OWARI project 

 

今日は平成二年を振り返っていきましょう!!

 

この年は何といってもベルリンの壁崩壊が世界史的に見てビッグニュースですね。

 

 ところでみなさん、ベルリンの壁って国境線だと思っていませんでしたか?あれ本当は東ドイツが西ベルリンを囲っていた壁なんですよ。私も勝手に誰から教わったわけでもないのに「ベルリンの壁は国境線」って決めつけていて、大きくなってから本で知って驚いた経験があります。

 日本人でも未だにベルリンの壁は国境線だと思っている人は多いんじゃないでしょうか?少なくともバカボンのパパバカボンだと思っている人よりは多そうです。

 

 まあベルリンの壁をざっと解説すると第二次世界大戦終戦までさかのぼるわけです。

当初は「敗戦国ドイツは英米仏ソで分割統治。ドイツの首都ベルリンも英米仏ソで分割統治」

しかし、冷戦の時代が始まると英米仏が統治する西ドイツ、ソ連が統治する東ドイツに分裂してしまいます。ここで東ドイツにあったベルリンも東西に分裂。

 

結果的に西ベルリンは東ドイツに囲まれる形になってしまいました。

 

東ドイツソ連は西ベルリンを追い出そうと物資が入ってこないようにバリケード封鎖するものの、西側は空輸で対抗。西ベルリンは東ドイツの中でポツンと残される事に、

 

しかし、東西冷戦が激しくなるにつれて国境線をまたがずに西側諸国が管理する西ベルリン行けば格好の亡命ルートに、、、

東ドイツ→西ベルリン→西ドイツ

 

1949年から1960年までの間に250万人(東ドイツの人口の4分の1)が西ドイツに流れて行った。

 

これに業を煮やした東側、1961年に西ベルリンを壁で囲ってしまった。これがベルリンの壁である。

 

壁ができて以来、毎年の亡命者は10分の1以下に

 

さて時は流れて今日のテーマの平成二年

 

さすがの社会主義陣営は経済的に疲労(まあ、やってもやんなくてもおんなじならみんなサボるよね。)

ペレストロイカが始まり、その中で「旅行の規制緩和」が平成元年(1989年)11月9日に打ち出される。この時点ではあくまで「旅行には許可証が必要です」とドイツ国営テレビも繰り返し放送していた。

 

「もうこんな壁必要ない」

放送の数時間後11月10日未明にどこからともなくハンマーやつるはし、重機が持ち出され市民の手により壁壊しがスタート。

11日には東ドイツ国境警備隊が壁直しを始めるものの、そのさらに数日後は東ドイツも国主導で壁の撤去に乗り出し、翌年の平成二年6月13日には正式に全てのベルリンの壁が取り壊されることに、10月3日には東西ドイツが念願の再統一を果たしました。

 

 ちなみにこのベルリンの壁、日本でも沖縄県宮古島市上野のテーマパーク「うえのドイツ文化村」で今でも少しだけ見られます。

 

 

 いつの時代でも壁というのは作る時も、また反対に壊す時も歴史を動かしてきたと感じるのは私だけでしょうか?

秦の始皇帝万里の長城を作ったことで自分の力をアピール

(このころの万里の長城はただ土を盛り上げただけでしょぼいです。人間や馬なら簡単に超えられます。でもヒツジは超えられないので効果があったそうです。)

してそれから後の中国史は大雑把にとらえると、

権力者が壁を作る

異民族が壁を乗り越えて攻めてくる

あたらしい権力者がもっと巨大で頑丈な壁を作る

これを繰り返して明代には、みなさんのイメージするような立派な万里の長城ができました。

 

 

 

西洋を見ても古代ローマカエサルはそれまでローマを厳重に守っていた。(あのハンニバルもローマ攻略を躊躇するほどの)壁を壊すことで市民に対して

「もうこれからはローマの周りに壁がなくても安全な時代にするぞ。異民族は国境線でブロックするぞ」

とアピールしたわけです。このように壁というものは直接的な目的よりも、政治的なアピールが目的で作られたり壊されたりするもんです。

 

 

 まあ、壁話はこの辺で終えるとして、この年の流行語大賞の流行語部門は「ちびまる子ちゃん(現象)」

 

ちびまる子ちゃん」のアニメが放送開始された年でもあります。平成二年はバブル景気最後の年と言われていますが、「ちびまる子ちゃん」という漫画は主人公も年を取らないし周りの環境も変化しない「ドラえもん時空」で、しかも「ドラえもん」みたいな現実離れしたキャラクターも登場しないから安心してみていられる笑いなんですよ。

 

 この「ちびまる子ちゃん」が流行ったという事は日本人の心の中のどこかにリアルタイムでイメージできる中で比較的、安定していた1970年代を懐かしがっていたのかなあ?西城秀樹郷ひろみといった単語が登場すれば、誰だって懐かしくなりますよ。(こんなこと書くと高橋かずひろ年齢不詳説が発生してしまうんですよ)

 

 漫画というと平成二年は「クレヨンしんちゃん」の連載が開始された年でもあります。連載当初は青年誌「漫画アクション」で連載が始まったこともあり、今でも下品なギャグがさらに下品プラス露骨だったらしく、連載が進むにつれて緩和されていったらしい。また「ベルリンの壁」、「天安門広場」といった時事ネタも多めでした。

 

 この「クレヨンしんちゃん」、笑いのタイプを大きく分けると

しんのすけが主に引き起こす非常識な笑い」、と

しんのすけの周りの人(主にみさえとひろし)が引き起こす、誰もが一度はやりそうなあるあるネタ

この二つのタイプの笑いをバランスよくミックスしたのが凄いんです。他に「あるあるネタ」と「非常識ネタ」を両立させたギャグ漫画ってなかなかないんですよ。「サザエさん」と「ちびまる子ちゃん」はあるあるネタの集合体だし、「天才バカボン」は非常識ネタを高密度に詰め込んだ超変化球(これはこれで凄い)。

 

 このスタイルを実現したのは「しんのすけのキャラに負けないリアルな生活描写」で、たとえば「野原家の家のローン」とか「みさえのダイエット」、「押し入れをあけると布団がなだれ落ちる」

 

 

 アニメになってからは「子供に見せたくない番組」の常連となるも、アニメ映画のクオリティも手伝って徐々に世間に認められていって、公民の教科書にも核家族の例として野原家が登場するようになるんです。

 

まあ、平成のリアルを描き続けたことで平成を象徴するようなギャグマンガになったわけです。

 

しかし事実は漫画よりも奇なり

 

「庶民」として描いた野原家の設定が

「ひろし35歳 二葉商事係長、みさえ29歳 専業主婦、春日部に家と車を持ち(ローンがあることは言うまでもない)、子供が二人と犬一匹」

 

平成が終わろうとしている今、結婚して正社員で子供がいる時点で勝ち組になってしまったわけです。

 

 

平成が終わる次の時代はたしてギャグ漫画の世界は

 

「時代のずれは容認して古典芸能化させる」か?

「時代の変化に適応していく」か?

 

展開が気になりますなあ