誰に見られるということを意識することもなくここに文章を書く。
川のように継続して思考を流していきたい。ときどき外部の媒体に文章を寄稿したり、個人でも同人誌をかいたりもする。外部に出すほど上品でもなく、同人誌にしてまとめるほどまとまってもいない考えがこのブログに溜まっていく。
最近の様子はというと相変わらず長崎県の五島列島のグットニートハウスという場所に行ってみたり、ニコニコ超会議に参加したりといった感じでいる。
恋愛リアリティー映画「マジ恋」は撮影した合コンの動画が公開され始めた。まだ認知の伸びは低いが私と活動範囲が微妙に異なる人に好かれたり、あまりあっていない人から突然応援のメッセージをもらうこともあって、情報発信の上での「飛び道具」として考えると強いのかなあと思う。
活動の類はおもしろいもの、次につながりそうなものには参加するし協力もする。そのかわり、つまらないと感じたらスパッとやめる。
好奇心と成長意欲で何かを始めて、人間関係で辛くなってやめる。こんなことが多い。でも最近飽きていないふりをすることをおぼえた。セーブができるようになった。「ここでコケたけど今度はこうすればできる。」ぐらいにまで情報を残しておけば価値のある記録になる。
相変わらず私の周りには「まだうまくいっていない夢追い人」のような人が多い。そしてそういった人たちは「現在の自分」を他人に見られるのが嫌いだ。まあ私もその一人だけど。
「現在と過去の自分は見てほしくない。未来の自分を見てほしい。そしてその未来はこうやって実現するから見ていてくれ。」
これが大体の意見だ。
まあ開き直って「こんな苦しい人間に慈悲を」みたいな感じで活動している人もいるけど、社会のレールにきれいに囚われた発想に見えてしまってはっきり言って可能性を感じない。
もう何というか24時間テレビを見てもスポーツを見ても何一つ感動しない体質になっている。他人に共感しないというか、昔好きだったテレビを見てもあまり楽しめなくなってきた。新しい作品を見ても世界観を頭に入れるのがめんどうくさい。さえない主人公が出てくる作品だと開始してから秒単位で見るのをやめる。
人気商売のような活動をしていて、売れていないけどかといって困窮もしていない不要不急の活動をしている人は「謎な生活をしている人」、「謎な人」の称号を与えられる。
謎な人の謎要素は考えたらいくらでも出てくる。例えば収入源、実家が太いという結論で片付けるのは簡単だけど、本当に金銭的にも文化的にもしっかりした家だったら社会のレールから外れないようにしっかり保険をかけるだろうし、レールから外れるにしても着地点をしっかり作る。モチベーションも謎だし、活動のゴールも謎だ。よっぽど仲良くならないと話してくれないだろうしなあ。
ボランティア的に趣味で活動しているのかなと思って軽く話を振ると、向こうは真剣にやっていて軽く見られたことに対して怒りが爆発することもある。謎な人は怒りのツボも謎だ。普通でない人、普通のレールに乗れなかった人が集まっている会は会員同士の怒りが爆発することも結構多い。
組織に所属していない分、その日の食事から人生をどう生きるかまで、いちいち自分の頭で考えないといけなくて心が不安定になりやすい。よく働いていると心が安定するという人がいるけど、自分の頭で考える部分が減っていることが理由だと思う。