カズヒロショッキングタイムズ

 読んでくださった方にもれなくカルチャーショックを与えるブログを目指します。

乱調なるにはBOOK 【プロニート】

 ニート生活をネットで配信して見世物にする商売。ニートとは何か、どんな生活をしているかを実体験を通して伝える。基本的にニート生活をしながらニートらしくないこと(農業、起業、シェアハウス)をしてそのギャップで人気を獲得する。有名になってくるとメディアに出演したり出版社から本が出せるようにもなる。取材されるメディアに応じて真面目な意見と面白ネタを書き分ける文章力が必要。有名人になって影響力をお金に換える仕組みは普通のタレントと同じ。ニートの人数はこれからも増えていき、ニートの取り巻く環境は複雑化していくので需要も当分は増えるだろう。
 もちろん現在、プロニートだけで食べていける人はほとんどいないので多くのプロニートたちは、古本を転売したり、モノを作ったり、場合によっては起業(儲かると自動的に引退)したりしながら何とか生きている。
 収入がある時点でニートとは言えないという意見もあるが、ニートの定義(就労、修学、職業訓練をやってない)を大体守っていればよくて、年齢も30代の人が中心。
 プロニートになるためにまず必要なのはお金よりもニート的な仲間をたくさん作る事、ニートな人がたくさん集まっているコミュニティに参加してみよう。プロニートであることを公言しているとあんまりエネルギーを使わないバイトとかへんな話が転がってくるようになるので、自分のペースで参加していく。こうした地道な作業からニート間の信頼関係を作っていくとだんだん意見が通りやすくなって何か活動するときに他の人の力が使えるようになる。頃合いを見計らってオリジナルな活動ができるようになると有名人化してプロニートとなる。アンチが発生することもあるのでストーカーは気を付けたほうがいい。恋愛は人並みにできるが結婚は不自由なので覚悟が必要。

恐育がいっぱい

 お久しぶりです。

 カズヒロです。元気にやってます。

 最近、放送大学の学生で時間のあるのをいいことにいろんな人と会ってます。

 そんな中で不思議に思うことが一つ

「教育関係になるとつまんない人が多くなるのはなぜだろう?」

 私も学生の身分との付き合い方は「一応学生やってます」が適度な距離だと思ってる。就活も「チャンスがあればしてもいいかな。」ぐらいなんで学年を名乗る時は三年生を名乗っている。

 なぜ私が学生の身分を買い続けるかというと学生同士の付き合いに便利だから。社会人と付き合う時には学生をやってることは聞かれれば喋るぐらいにしてる。

 社会人が社会人同士で集まるイベントでは自然に溶け込めるが、社会人が学生向けに開くイベントでは場がギスギスするのでつまんなくなって途中で帰る。

 社会人は学生を威圧することで「場」をコントロールできて学生は苦しい思いをして成長した「気分」になる。つまり、はたから見ると歪んでいるとはいえお互いの需要と供給がマッチしているのだ。そして洗脳された学生が意識高い系になって、また別の学生を洗脳する。やる気のある学生が次々と餌食になっていく。

 私もこの中に溶け込んでコントロールされてしまったこともあるが少し離れて観察することで騙されていることが分かった。ウィルフで能力のある仲間と出会って行動してマジ説教をされたりもしたが、能力のある仲間とカズヒロの自分の意志でやったことだったんで有意義な失敗でまとめられてよかった。

 その後もなんだかんだいろんなことをしたけど学生を学生扱いする社会人のイベントにろくなのがない。

 たぶん、社会人の側も「こんな性能の学生を〇人」ぐらいの人数のノルマしかないのだろう。工業製品から不良品を取り除くような感覚でやっていかないと上から怒られるに違いない。最近やたらと現代に適応できない教育の代表格で義務教育ばかりが前世紀の遺物みたいに言われるけど義務教育で生産された人間を欲しがる社会全体を変えないと小手先だけでは第二第三の義務教育がゾンビ化して甦るに違いない。少子化でただでさえ若者の人数と比率が減って若さがなくなっているのにさらに教育して年寄りの価値観を植え付けて若年寄を増やす意味がどこにあるのだろうか?

起業家を見たらサラリーマンだと思え

 近、「嘘ではないけど起業家のやることだろうか?」と思う起業家が多い。これは「起業家を育てる。」と言って金を巻き上げてドロンする詐欺師の話ではない。そんな奴は論外だがベンチャー界隈で真面目に動いている学生や社会人のほとんど(少なくとも私が出会った人のほとんど)がそうだ。大手にない工夫よりも巨人の星みたいに頑張ることをプライドにしていて、起業家として確固たる地位を持つ人間が「電通なんかよりも死ぬ気で頑張っている。」といった趣旨の発言を公の場で平気でやっている。徹夜自慢、不眠自慢は日常茶飯事。行動の質よりも量がなんだかんだ言って重要視されてる。一応会社を作っているわけだから「偽物」ではないが、世のなかの動きに順応して言われた通りのことをやっているだけのサラリーマンみたいな人が多すぎる。一緒に話をしても本音を決して喋らず「人間と喋っている。」という感じがない。なんでこんな記事を書いてるかというと私、高橋和大も同じようにみられているかもしれないからだ。実際に学生起業塾ウィルフに通っていた時期が半年間あるし今でも起業界隈のイベントに行くときもある。ウィルフでは普通の学生がどんなふうに起業家になっていくかを知ることができた。ウィルフの塾生はポケットマネーで起業体験することもあり、起業塾の中ではトップクラスのやる気を持った学生を集めていた。入塾した学生は半年間の間にきつくてやめていく学生と、ベンチャー界隈にとって都合の良い優等生的な意見を述べるようになって最後まで続ける学生に分かれる。あまりにもきつすぎて卒業した後に同期みんなで会うこともなくなる。

卒業後数か月してウィルフ塾長の黒石健太郎さんが岡山から選挙に出た。江田五月さんの後継者みたいにして出馬していたが二人の共通点は「岡山で生まれた東大卒」ぐらいしかない。中学高校時代の経歴を 「淳心学院中・高等学校卒業(岡山から通学) 」なんて書いて無理して岡山育ちをアピールしている。江田五月さんは「私の若いころにそっくりだ。」なんて応援メッセージを送っているが彼は大学生時代に学生運動のトップ(ゲバ棒にヘルメットの全共闘とは無関係)で62年の大学管理法反対闘争をやって退学処分を食らっている。(復学もした。) 政治家としてやりたいことに隔たりがあり過ぎるのではないだろうか。 黒石さんの公約や選挙公報も見てみたが既存の政治と違う点が見つけられなかった。正直に一有権者の意見を言えば2016の選挙で黒石さんは民進党に将棋の駒のように扱われていると感じた。

学生、社会人問わずベンチャー界隈にいる人のほとんどに言えることだが、何かを達成するための手段であったはずの起業が目的化して「会社を作れば何でもいいや」になっている。もちろん何か目的がある人も中にはいるが私が会ったことのある人のほとんどは喋っても建前ばかりで主張がなく本音が見えない。「金が欲しい。モテたい。」といった本音も見えない。アメリカの選挙ではないが建前主義はもうたくさんだしもっと本音を出して喋るべきだ。本音がないからニーズ調査で迷走するのも当たり前だし、チームを組んでもみんなで譲り合って悪い意味でまとまってしまう。「起業家」以外の変革者を形容する新しい言葉を作る段階にきている。